「震災から10年たった今、このテーマを世の中に問うていかないと、震災も戦争もどんどん忘れ去られていってしまう」(撮影:本社写真部)
今年も8月6日、広島の原爆記念日がやってきます。第二次世界大戦末期、世界で初めて原子爆弾の被害者になった日本人が、同じく原爆開発をしていたという事実が、若い科学者の日記からひもとかれました。忘れてはいけない事実を作品にするため、長年にわたり温めてきた黒崎博監督に、主演の柳楽優弥さん、有村架純さん、三浦春馬さんとの撮影秘話や、作品に込めた思い、映像を撮る面白さや苦労を聞きました。(構成=内山靖子 撮影=本社写真部)

偶然、目にした日記から始まった

この『映画 太陽の子』という作品を撮ることになったのは、まさに偶然の出会いがきっかけなんですよ。

ひとつの作品を撮り終えると、僕はいつも、図書館や大きな本屋さんに行って、1時間、2時間と、あてもなく歩き回るのが習慣になっています。そこに並んでいるたくさんの本の背表紙を見て、時々、手に取ってみたりする。そうすることで、自分の頭の中が整理されたり、ふと手に取った本の中に面白いテーマが書かれていたりとか。脳内整理をすると同時に新たな出会いを求めて、そうした時間を設けているのです。

『映画 太陽の子』のベースとなる若き科学者の日記の断片を見つけたのも、ちょうどそんなときでした。広島であるドラマの撮影を終え、県立図書館の片隅をブラブラと歩いているときに、たまたま手にとった何冊かの中に、この映画の主人公となる若い科学者が、太平洋戦争が最終局面を迎えた頃に綴っていた日記の断片を見つけて、「なんだ、これは?」と、目が釘付けになってしまって。

本当にまったくの偶然だったのですが、彼が残した日記に何か引っかかるものを感じて背景や周辺を調べてみたところ、その日記の断片の前後を持っている方にたどりついた。さらに、当時、修が研究をしていた京都帝国大学物理学研究室の他のメンバーが書いた研究ノートも見つかった。

最初は、これが物語になるかどうかもまったくわからなかったので、他の作品の撮影の合間に関係者の方々の話を聞きに行っているうちに何年もたってしまった……。じょじょに全貌が見えてくるにしたがって、この日記に書かれていることは絶対に物語にしなきゃいけないと強く思うようになりました。

世津(中央・有村架純)は、いつか戦争が終わった世の希望を修(左・柳楽優弥)と裕之(三浦春馬)に語る (C)2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ