戦争に翻弄されたオリンピアン達へ

2019年5月、40年東京大会の水泳代表が確実視されていた河野通廣が亡くなった。

享年99。日本大学在学中にオリンピックを迎える予定だった。その後、河野はどのように生きたか。長男・道康の証言を交えた報道がある。

「東京五輪出場を目指して練習に明け暮れる中、開催返上の話を耳にした。『虚脱感で何もする気が起きなくなった』と振り返ったという。河野さんはその後、繰り上げ卒業で中国に出征し、機関銃を備えた部隊に配属された。撤退時は最後方を担当し、目の前で胸に銃弾を受け、命を落とした部下もいたという。戦争の話はあまりしたがらなかったが、道康さんは『それだけひどい経験をしたのだろう。”絶対に戦争はするな”と言っていた』と思いをはせる」(時事通信 2020年8月11日)

2021年8月―――

敗戦から76年を迎えたが、東京2020の余韻がまださめやらぬといったところだろう。オリンピックの関係者、日本代表を務めたアスリートたち、そして大会を観戦した私たちを含め、自国で開催された大会への喜びに浸っているところかもしれない。

しかし東京2020で飛躍したアスリート、その大先輩たちが、80年近く前の戦争に翻弄され、現実として命を落としていることを忘れてはならない。オリンピックの目的は「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある」(JOCウェブサイト)のだから。

※本稿は、『大学とオリンピック 1912-2020-歴代代表の出身大学ランキング』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


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日本のオリンピックの歴史は大学抜きには考えられない。特に実現には至らなかった1940年東京大会では、構想から大学が深く関わった。戦後、企業スポーツ隆盛の時代へと移ってもなお、大学生オリンピアンは不滅だ。1912年大会から2020年東京大会までを振り返り、両者の関係から浮かび上がる大学の役割、オリンピックの意義を問う。