今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『小島』(小山田浩子著/新潮社)。評者は編集者で詩人の川口晴美さんです。

動植物への深い眼差しと丹念な描写が、
いつしか日常の向こう側へ

ページを開くとみっしり文字が並んでいる。最近の、特にWeb上で目にする文章の改行や行あきが多用されて風がすうすう抜けるような佇まいとはまるで違う。それでいて立ちはだかる壁みたいな取っつきにくさはない。やわらかくも強靭な雑草の繁茂する地平のよう。そこに踏み入り、じっと見つめる気分で精緻な描写をたどっていけば、いつのまにかこの身も濃く匂い立つ草いきれに包まれていて、思い出か幻想か判然としない輪郭が草の実に似てそこここに揺れ、奇妙な生き物がふいっと目の前にあらわれたりもする。そんな場所へ誘う十四篇である。

表題作は、豪雨で被災した土地へボランティアに行く話。ボランティアバスに乗り合わせた人たちの様子、畑に流れ込んだ泥を撤去する作業、合間に聞こえてくる会話の断片。〈私〉の五感がとらえた風景の細部がリアルタイムでこちらに流れ込んでくる。バッタが飛び、カエルが跳ね、ローカルテレビの取材がやってくる。そして住人の女性が手入れした鶏頭の花を言葉少なく差し出す一瞬。わかりやすいドラマが描かれるわけではないのに、私たち自身の内側に鮮やかに映し出されるものがある。「ヒヨドリ」は、朝のベランダにいた鳥のヒナに夫が思いがけず熱中する場面から始まる。そんな人だったっけ? と戸惑う〈私〉との温度差がおかしくて、不穏だ。目をこらせば生き物はかわいいだけでなく、こちらの理解を当たり前に超えていく不気味さがある。鳥も、犬も、夫も、きっとこれから生まれてくる子どもも。おもしろさとおそろしさとを宿して、私たちもまた繁茂するのだ。

どの作品も、目の前の出来事と記憶や思考がシームレスに繋がっていく文章の独特の読み心地に引き込まれる。動植物への深い眼差しと丹念な描写が、いつしか日常の向こう側へ突き抜けていく。芥川賞受賞作「穴」から変わらない作風が研ぎ澄まされてきた。「ねこねこ」や「けば」は小さな棘のように怖いし、具体的には何も書かれていないのに人を好きになったときの愚かさや高揚がじれったく温かく伝わってくる「おおかみいぬ」では、ちょっと泣きたくなるくらいの切なさと幸福感が滲む。