「大日本名将鑑 日本武尊」月岡芳年、1876(一部)。出典:LCMA
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第10回は「霊験譚の可能性」。

前回●女装して敵を籠絡するヤマトタケル…

今の学者たちがとなえる読み解きのあらまし

ヤマトタケルは、クマソ征伐にさいし女装をした。美しい少女となって、敵のリーダーをとりこにしている。のみならず、うちはたしもした。相手が自分の魅力でのぼせた、その隙をついて、凶行におよんだのである。

8世紀はじめごろの『古事記』や『日本書紀』に、この話はのっている。どちらも、皇室の歴史をことほぐべき史書である。そこに、皇子の女装譚はおさめられていた。8世紀の書き手や語部(かたりべ)は、この話が皇室の歴史をかがやかせると考えたのだろうか。女になりすまして、敵をあやめる。なんてすばらしい話なんだ、と。

『古事記』が、ヤマトの皇子を女装のテロリストとして登場させている。この点をめぐっては、上代文学を研究する学者たちのあいだに、いくつかの議論がある。なかでも有力なのは、神の加護を強調するための設定だったとする説である。

あらかじめ、ことわっておこう。私は現在の学界が定説とするこの見方を、信じない。全否定まではしないが、ピントのずれた解釈だと思っている。だが、その難点をあげつらうのは、あとにしよう。その前に、今の学者たちがとなえる読み解きのあらましを、説明しておきたい。

ヤマトタケルは、父の景行天皇からクマソをたいらげるよう言いつけられた。命じられた皇子はヤマトヒメから、女物の衣服をもらっている。「姨倭比売命(おばやまとひめのみこと)の御衣御裳(みそみも)を給はり」と、『古事記』にはある(岩波文庫 1963年)。どうやら、「衣」と「裳」の二着を、わたされたようである。ツーピースの女服であったということか。

このくだりを、岩波文庫版の『古事記』は、脚注で、つぎのように解説した。「倭比売の御衣裳を頂かれたことは、天照大神の御加護を賜わる意である」(同前)。ヤマトヒメから衣裳がわたされる。それは、アマテラスオオミカミの加護がさずけられたことを、しめしている、と。

ヤマトヒメは景行の妹、つまりヤマトタケルの叔母であった。そして、伊勢神宮の斎宮でもある。アマテラスをまつる神社へ、天皇からつかわされた皇女であり、巫女にほかならない。神宮につかえるそんな女性から、ヤマトタケルは衣服をあたえられていた。これを着ることで、皇子はアマテラスに保護されたとみなされるのも、そのためである。

なお、同じ箇所を、『日本思想大系』版の『古事記』も、頭注でこう説明する。「伊勢大神宮を拝祭する倭比売命の御衣御裳を受けるのは、天照大神威を借りることになる」(1・1982年)。アマテラスの神威も、ヤマトタケルは借用したという読解である。アマテラスにまもられたからクマソの殺害もうまくいったと、これらはのべている。