「地獄に落ちる」と本気で思った
その晩一睡もしないまま、翌朝、長女の運転する車で転院先の精神科専門病院へ向かった。私の頭の中には、昨晩Aさんから言われた「病院は生きたいと願う人が来る場所」という一言がグルグル回っていた。私はこれから、本当に生きようとして転院先に向かっているのか? これは痛い疑問符だった。
精神科の女性医師は私を見るなり、「不安そうですね。死んじゃうのかなとか考えているんでしょう? これからここでゆっくり治療するから、大丈夫、大丈夫よ」。大丈夫を連発されるのが気になったが、頑張ってみようと腹をくくった。
閉鎖病棟の持ち物は着替えと洗面道具、はし、スプーン、ティッシュのみとなった。そして、コロナ禍で退院までの3ヵ月間は面会不可のため、長女と顔を合わせて話せるのはこの場が最後だという。私は「ごめんね」「ありがとう」とだけ繰り返した。
長女は「お母さんは苦しかったんだよね。お父さんの入院の面倒も私が見るから心配いらないよ。安心してゆっくり休んで」とポツリと言いおいて帰ったが、新婚1ヵ月でしかも仕事もしながら、父親の入院の面倒を見るなど大丈夫なわけはない。自分の身勝手で長女にすべてを背負わせた私は「地獄に落ちる」と本気で思った。入院前の体重測定では31キロにまで痩せ細っていた。
院内は、閉鎖病棟という名称から私が受けたイメージとは大きくかけ離れてとても明るく、患者さんたちもみんな明るい表情で救われた。洗濯やシーツ交換に加え、ラジオ体操や簡単な作業療法の時間もあるので、一日は結構忙しい。
私の病名と診断は「直腸がん手術後の不安神経症(時に希死念慮・現実歪曲・パニック障害)」だった。ネガティブな考えばかりが浮かんでしまうことが本当につらかった。眠れない時も多く、看護師さんに事情を話すと、「つらい時はお薬の力を借りることは決して悪いことではない」と言ってもらえ、何とか質の良い睡眠の確保に努め続けた。