本当の天才は孤独といういばらの冠を頭に戴く

いつからそうなったのか、気がつくと、毎朝、早くショーケンから電話がかかってくるようになっていた。六時半か七時前のことで、

「お早う、センセ!」

疳高(かんだか)い声で呼びかける。グループで走っているらしく、仲間のいる賑やかな雰囲気が伝ってくる。若い人妻や娘もいるらしく、疳高い彼女たちの笑い声も聞えてきたりする。

スケート選手として、少女時代から名の聞えていた彼の妻は、こんな朝の走りの仲間には無関心らしい。

ある朝、ふと気がつくと、朝のショーケンの電話の挨拶が、

「おかあさん、お早う!」

になっていた。二、三日ほど私自身が気がつかなかった程、その変化は自然だった。

四歳のひとり娘を婚家に残し出奔した私には、いつの間にか三人の曾孫(ひまご)がいる。三人とも女で、上の二人は双児である。彼女たちの母がアメリカで二つの州の弁護士をしているので、ずっと母とニューヨークで暮している。まだ二歳になったばかりの末の曾孫は、父が私の孫で、母がタイ人の女である。タイで暮しているが、ニューヨークの曾孫より、京都に訪れることが多い。

ショーケンは四度の結婚、三度の離婚をしているが、子供は無かったのだろうか。

誰が何と言おうともショーケンは天才の一人だと私は信じている。九十七年も生きのびてきた間に、私は、本当の天才や、偽天才の多くに会ってきた。本当の天才は孤独といういばらの冠を自分の知らない間に頭に戴いている。その冠をかぶったまま、あの世に帰っていく。

つつましい家庭の平安や、血のつながった家族の結束などを、望みはしない。それを選び取るのは、本人の強い意志と、残す本人の命がけの業績だけである。

「おかあさん、お早う!!」

なつかしい声に必ず起される朝の来ることをまだ信じて、今朝も私は、朝のふとんの中で耳をすませている。

※本稿は、『その日まで』(講談社)の一部を再編集したものです。


『その日まで』(著:瀬戸内寂聴/講談社)

99歳、最期の長篇エッセイ。切に愛し、いのちを燃やし、ペン一筋に生き抜いた。70余年にわたる作家人生の終着点。