ショーケンからの電話

その時、ショーケンが私に与えたこの世ならぬ妖(あや)しさが、麻薬愛用者の使用時の現象だと察しられたのは、ショーケンの逮捕事件がおこった後のことだった。

『その日まで』(著:瀬戸内寂聴/講談社)

対談のゲラ刷を読んだ時、これではショーケンはあの二時間、さぞ面白くなく、坐っていることがどんなに苦痛だっただろうとうなずけた。

ところがその後、ショーケンは、二、三度、唐突に電話をかけてよこした。電話の中の声は、対談の時とは別人のように、快活ではつらつとしていた。

「センセ、わかりますか、萩原です」

という声は弾みきっていて、お祭に小遣いをもらって駆け出してきた子供の声のように、無邪気で明るい。

「久しぶりね、どこにいるの今」

「京都。撮影で、五日前から来てるんです。逢いたいですね」

声はますます陽気になる。

「ええ、逢いたいわね」

私もつりこまれて声をはり上げる。

「センセ。行ってもいいですか」

ですが「す」に聞える口調でいう。

「ええ、どうぞ、いつ来る?」

「だめなんだ、今度は。もう明日、朝早く東京に帰るんです。でも、きっと、また来ます。その時必ず行きますね、じゃ、センセ、病気しないでね、転ばないでね」

「あなたも元気でね」

後にかかってきた時も、ほとんど同じような会話だった。京都が、九州であったり、大阪であったりするだけだ。電話によれば、どこにいてもショーケンは、毎朝走ることは休まない様子だった。