「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、ライターとして活動をしているヒオカさん(写真提供◎ヒオカさん 以下同)
2020年から続く新型コロナウイルスの影響で、経済的に困窮する人も増えている。そのなかでも見落とされがちなのが「若者の貧困」だという。「若くて働けるのだから自己責任では?」という声もあるが、その構造を私たちは理解できているのだろうか。自らも貧困家庭に生まれ、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしているヒオカさんによる新連載。第3回は「進学校X高に合格、そして難関大学受験を決意する話」です。

大学受験、それは自由への渇望だった

いまだに、夢に見る。すべてを受験に懸けたあの日々の出来事を。

夢の中ではいつも私は高校生。

「大学に行けないかもしれない」、そんな強烈な強迫観念に支配され、いつもうなされて起きるのだ。

もう受験を終えて8年ほど経っているのに、その焦燥感や切迫感は、夢の中で生々しく蘇る。
まさに、命を削るような日々だった。

そこまで私を駆り立てたものそれは、自由への渇望であったように思う。

大学に行けば、いまより広い世界にいける。
この鬱屈とした狭い檻のような世界から、抜け出すことができる。
そんな希望が、私を突き動かしていた。

前回の記事で触れたが、私の家には学習環境がない。
勉強机もなければエアコンもない。
掃除する習慣がなく、家は常に雑然としておりとても汚かった。

極めつけは父の存在だ。母に激しい暴力を振るい、姉や私にもしょっちゅう激高した。

おまけに、会社の同僚に1時間も電話で怒鳴り続けるのだ。父は耳が遠いせいか、声がありえないほどばかでかい。普通の人が叫ぶような声量で電話するものだから、家中に響き渡り、家の外にも漏れる有様だった。

父はアルバイトや障害者の作業所で働いていたため、夕方4時頃には帰宅する。学校から帰ると父がいるのだ。

テスト前の追い込み勉強をしているそばでで電話越しにどなり続けるものだから、「テスト前だから静かにして」と頼んでみるも、「あんたには関係ない!」とこちらが怒鳴られる。

大学受験に向けて頑張っていたころ(写真提供◎ヒオカさん)