ある本との運命的な出会い

さらに、夏休みも前半と後半に課外授業がある。課外授業といっても普段の授業と全く変わりない。そのため実質夏休みは1週間もなかった。そしてその間大量の課題が出されるのだ。 

図書館で必死に勉強を続けた成果が出たのか、

1年生の冬には学年で40位くらいには成績が浮上し、成績別のクラスわけでもいつも一番いいクラスに入れるようにはなっていた。

最中はとにかく必死で、勉強漬けの生活が苦しくて仕方がなかったが、振り返ると、否応なしに大学を目指さざるをえない環境に身を置いたことが、私の人生にとって大きなプラスだったように思う。

定期的に志望校を書く紙が配られ、大学の学部学科一覧とにらめっこしながら埋めていった。

大学の受験率はもちろん100パーセント。毎年東大に合格者数名を出し、難関大学にも多くの生徒が合格する。ここで落ちこぼれでも地方の国公立くらいには合格する。

そもそも意思が芽生えるかどうか、選択肢が見えるかどうか、というのは、環境の影響を大きく受けるように思う。

進学校に放り込まれたことで、私は「大学には行くものだ」という意識が根付いていた。 

しかし、その意思は受動的なものから、能動的なものに変わっていった。

ある本との運命的な出会いがきっかけだった。

それは、「田舎の超貧困家庭の学生が、独学で東大に現役合格、そしてのちにハーバード大に留学を果たす」というノンフィクション本だった。

食事することもままらない極貧生活の中で、緻密な計算のもとに具体的な方法論を確立し、成績を急上昇させる。その過程はまさに満身創痍。泥臭くて、とんでもなく熱いのだ。

私は衝撃を受けた。私よりも貧乏でも、塾にもいかずに東大に合格できるんだ。
著者のパッションは本を通して私に火を付けた。
身体の奥底から熱い何かがわきでてくる。

そうだ、難関大へ行こう☆

私の心はたぎった。

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