2020年から続く新型コロナウイルスの影響で、経済的に困窮する人も増えている。そのなかでも見落とされがちなのが「若者の貧困」だという。「若くて働けるのだから自己責任では?」という声もあるが、その構造を私たちは理解できているのだろうか。自らも貧困家庭に生まれ、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしているヒオカさんによる新連載。第4回は「過酷を極めた大学受験の話」です。
苦手だった数学に魅せられて
第一志望を関西にある国立大Aに定め、学校名と学部学科を大きな紙に太いマジックででかでかと書いて、壁に張った。
私は勉強により一層のめり込んでいった。
国語や英語、暗記系の科目は得意だった。
しかし、数学は別だ。
どれだけやっても、攻略できない、手の内におさまらない不安定さがあった。
まるで空気を掴んでいるようだ。
でも、私は、苦手を克服するためがむしゃらに向き合い続けるうち、数学の問題を解くことに魅せられていった。
数式を羅列し、答えが出たときのあの快感たるや。
時間が経つのも、トイレにいくのも忘れて、ひたすら問題集にかじりつき、没頭していた。
集中に集中を重ねると、ある一点を超えた時に、新しい境地に入ることがある。
抑えられない高揚感。
それをランナーズハイならぬ、スタディーズハイと名付けていた。
以前虐待を受けた過去を持ちながら、難関大へ合格した子を取材したことがある。
その子は、勉強が現実逃避だった、と言う。
問題を解いている時は、どうしようもない苦しみ、痛みを忘れられるのだと。
だから、自分でも止められないとも言っていた。
私も、少し分かるところがある。