学校しか勉強する場所はない
血流が悪くなり、肩や首、腰などが異常に凝って、それが頭痛になり、吐き気になった。
それまでなんともなかった図書館のエアコンに当たることも難しくなり、しょっちゅう外に出て身体を温めた。
しかし、家は家でエアコンはなく、暑過ぎて勉強に集中できない。
先生に相談して、教室のエアコンの温度を上げてもらうも、また声の大きな生徒が温度を下げる。いたちごっこだった。
JとSはいつもいらだった大きな声で「あっちいなぁ」と言った。
自分たちが周囲に与える圧にまるで無自覚なJとSとを見るたび、
胸をかきむしるような思いだった。
JもSも裕福な家庭で、家にはちゃんと学習環境がある。
そして、私立受験、加えて浪人という選択肢もある。
(実際、JとSは浪人し、次の年に大学に合格したのだった)
私にはそれがない。
ここしか勉強する場所がない。
その年は記録的猛暑で、真夏の日差しが翳り、暑さが和らいだのは10月に入ってからだった。成績はというと、難関大レベルには届かず、その下の中堅大レベル。
国語や英語は偏差値で言うと60から70に届かないくらい。センターを想定した模試で8割くらいは取れていた。でも、数学はどうしても、偏差値60に届かない。
そこで、難関大Aに見切りを付け、関西の公立大学Bと、中国地方の国立大学に狙いを定めていた。
国公立は数が少なく、さらに希望の学部に限ると選択肢は数える程になる。
その頃には志望校のレベル別の追い込みの試験対策がはじまった。