ダンスに呼び起こされる様々な感情
彼女のまぶたの筋肉の収縮、揺れる髪の毛やドレス、指先や足先のタッチまで、全てが音と一体となる。まるで空気をあやつるように、彼女の動きに合わせて世界が鼓動し、色づくようだ。
もともと、平手友梨奈は私にとって特別な存在だった。
アイドルグループの絶対的センターとして君臨していた時から、彼女は異質な存在だった。
大勢の中で躍っていても、バックにプロのダンサーをしたがえても、彼女だけにスポットライトが当たっているような、強烈な存在感がある。一方で、今にも消えてしまうのではないかと思うような、危うさと儚さが同居しているのだ。
憑依型、と評される彼女の身体表現は、不思議な力がある。
限界を超えて、倒れ込むまで。何かが乗り移ったように、まるで命を削るように。
目線の動きや、呼吸、手先の動き全てを使って、全身で彼女は表現する。
荒い呼吸で苦悶の表情を浮かべたかと思えば、切なく哀愁に満ちた物憂げな表情に変化していく。そして髪を振り乱し、まっすぐ前を見据えた時のあの目の迫力たるや。
悲しみも絶望も、もがきもあがきも、全てを、命がけで表現に昇華しているように見える。
彼女のダンスを見ていると、眠っていた様々な感情が呼び起こされ、自分を投影してしまうのだ。
そして、その圧倒的な表現を前に、自分のどろどろとした感情はすっと消えて、心が澄んでいく。
彼女にアンチは多い。マスコミもわざと彼女の評判を落とすような記事を書くことがある。
悪意や恣意的な見出しに、あることにないことを羅列したセンセーショナルで下劣な内容。それに呼応して吹き出す歪んだ感情からくる罵詈雑言。
人々の関心を掴んで話さず、良くも悪くも執着させるのはスターの宿命であり、証でもあるのかもしれない。
しかし、彼女の孤高な身体表現を見ていると、彼女の表現は誰にも奪えない、と思い知らされる。
その圧倒的存在感と、瞬間瞬間に繰り出される表現の前に、全ては雑音と化すようだ。