せいぜい楽しむが勝ち
ファンの間では私のような熱烈な信奉者のことを「沼にはまる」と譬えるようだが、勘弁してほしい。婆さんが沼に落ち恍惚とするさまなど、想像するだけでぞっとする。
沼ではなく、「花園」と形容したい。そこに迷い込んだ私は蝶だ。叶うものなら、Wさんの周囲を永久に飛び回っていたい。熱く見つめながら。
だいたい、スターさんたちに失礼ではないか。言霊の国・日本人なら、なるべく美しい言葉を選んでほしい。地下の怪しい集団ならまだしも、こちらはキラキラ感満載の、100年の歴史がある夢劇団。ファンもそれなりの誇りと品位で臨むべきだ。
「推し」とは、自分が応援するスターさんを示すものである。私にとって推しのWさんは、常に華やかで、数々の斬新な演目を提供してくれる。この劇団は、ワクワクウキウキの極みであり、宝庫なのだ。
Wさんのお許しがあるので私は妄想を楽しむ。美しい冬の庭で、優雅に舞い踊るWさんの姿をうっとりと思い浮かべるのだ。あるいは、光源氏のWさん。直衣姿が美しい。私は欲張って五十四帖それぞれに登場する。彼の想い人をひとりで担うのだ。
なんという贅沢、至福であろうか。免疫力がアップして、ウキウキで満たされる。呆れただの、老いらくの恋だの、人には言わせておけばいい。好きに理屈はない、私には推しが生きがいなのだから。
同級生に、「あなたはいつまでも若いわね」と言われた。社交辞令にしても悪い気はしない。「だって、恋しているから」と、私は内心ウキウキしながら答える。私のご機嫌生活は他人さまなどいっこうに頓着しない。せいぜい楽しむが勝ちである。いずれみんなお迎えが来るのだから、その日まで機嫌よく暮らすだけだ。