それにしても、「グレイヘア」という言葉もちょっと微妙ですよね。白髪染めのために美容室に通っていた頃、美容師さんたちから「お客様、グレイは……」と言われ、「グレイでなくて白でしょう」と、いつも言っていました。すると「今はグレイヘアと言うんです」って。それぐらい、“白髪”という言葉が嫌われている、ということなのでしょう。
でも私は、嫌うのもイヤでした。自分自身から生えてきた同じ毛髪なのに、なぜ黒かったら愛して、白いとうとましく思うのか。納得がいかなかったのです。
そういえば白髪の男性に関しては、昔から「ロマンスグレイ」という素敵な言葉がありますよね。ロマンスグレイは、女性が憧れる渋い男性像に一役かってもいる。
それに比べて「グレイヘア」という言葉は女性発の言葉というか、白髪と言いたくはないがための置き換え、という感もぬぐえません。ロマンスグレイに匹敵するような言葉が生まれたらいいのに、とも思います。
潔く物事を手放すことで、次の道が開ける
もともと私は、「こうしよう」と思ったらまわりの目を気にせず、パッと行動に移すタイプ。いい意味でも悪い意味でも、けっこう思い切りがいいほうです。そのため、失敗することもありますが。
一方で、潔く物事を手放すことで、次の道が開けるということも実感しています。仕事もそう。フジテレビを退職し、フリーアナウンサーとして仕事をしていましたが、30代半ば頃から、このまま続けていても将来苦しくなると感じたのです。
アナウンサーとしてそれほど秀でているわけでもないし、美しくて才能のある後輩たちがどんどん出てくる。同じ土俵で闘うのは、どう考えても難しい。だったら土俵をおりようと、40歳を前にパッと決断しました。これからは声の表現者として生きていこうと決め、ナレーターや朗読など声の仕事専門の事務所に入ったのです。おかげさまで、とても忙しくさせていただいています。
過去にしがみつかず、潔く何かを手放すと、風通しがよくなる。やめた途端、必ず新しいことが始まります。白髪染めに関しても、やめたら気持ちがフレッシュになり、ワクワクすることが増えました。
ファッションに対する感覚も変わり、グレイヘアにしてからは、以前から好きだった着物をよりいっそう着るようになりました。今日着ているのは越後上布。ようやく、こういう着物を自然に着こなせるようになったなと感じています。若いお嬢さんの着物姿も初々しくて素敵ですが、やはり麻や紬は人生の年輪を刻んでこそ、しっくりくるのではないでしょうか。
白髪染めをしていた時は、「とりあえず染めたからいいや」と、そこに安住していた気がします。でも、若々しく見せようという縛りを捨ててからは、逆に歳相応に美しくありたい、輝いていたいという欲求が湧いてきたのです。
では、歳相応の美しさとは何か。やはり50代以降は、外見だけではなく、内面からにじみ出てくるものも重要になると思います。知的なものに対する憧れが強くなり、図書館によく通うようになりました。
あとは、「モテたい」と思うようにも。ただし恋愛でモテるのではなく、同性からも憧れられたい、ということですが。2011年から母校の大学で特任教授を務めるようになり、白髪でスッピンの私を見た女子学生が、「私、先生みたいに歳をとりたい」と言ってくれました。それがすごく嬉しくて。
その学生の言葉に恥じないような歳のとり方をしたいなと、改めて感じたのです。いかに若々しくいられるかではなく、いかに有意義に歳を重ねるか。そちらのほうが大事だと、今、つくづく思います。