後から知った父という1人の人間

長期休みで帰省した時に、実家でアルバムを見つけ、パラパラとめくってみた。
そこに写っているのは、幼い姉と私を、満面の笑みで抱き上げる父の姿だった。
「本当にあなたたちを可愛がってたのよ」
事あるごとに母は父の子煩悩さについて話してくる。
父は、子どもを持つ喜びは何ものにも変えがたい、とよく言っていたらしい。

私は、帰省するたび、父について母に聞くようになった。
そこで知った父は、可哀そうな1人の人間であった。

父は小学生で父親(つまり私の祖父)を亡くし、母親がシングルマザーとして4人きょうだいを育てた。本当に貧しくて、つぎはぎの服を着ていて、いじめにもあったそうだ。

父は若いころは自衛隊で働いていた。精神を病んだのは、私が生まれたあとのことだという。
そして病気や事故、怪我の絶えない人生だった。手術や入院は数えたらキリがない。お腹だけで8回切っていると言っていた。実際に手術の生々しい痕を見たことがある。
一度大きな単独事故を起こし、血だらけで気を失っているところをたまたま通りかかった人に発見され、一命をとりとめたことも。鼻の骨や肋骨などを折り、いまでも後遺症が残っている。

しょっちゅう腸閉塞になり、その時は必ずいつも夜中に吐くのだが、お金がかかるからと病院に行くことを拒む。結局倒れる寸前までいって緊急入院というのがいつものパターンだ。医者に止められても、ふらつく身体で無理やり仕事に行く姿を見るのが本当に辛かった。

さまざまなアルバイトをしていたが、一時期農業の仕事をしていて、農薬の影響か、手がただれて変色し、傷だらけで本当に酷かったものだった。
弱い身体を酷使して働いても、驚くほど安い賃金しかもらえない。障害者が働く作業所で、怒鳴り散らす上司にいじめられたこともあった。

幼いヒオカさんを抱き上げるお父さん(写真提供◎ヒオカさん)