私にとっての父という存在

その人には、その人にしかわからない絶望がある。身を切り裂くほどの悲しみがある。孤独がある。
そしてそれが、その人を歪めてしまったのかもしれない。

と、父を許せてハッピーエンド、かというと、ことはそう簡単なものではない。
今私は、父と連絡を絶っている。

昨年の私の誕生日の日のこと。
父から何度も何度も電話がかかってきた。
(父はケータイが上手く使えず、文字が打てないので、電話しか連絡手段がない)
既に何度目かわからない着信で、私はやっと応答した。
「お誕生日おめでとう…それでな!! あのぅ実は今手持ちが3000円しかなくて。明日には病院に行かんと…」

父は歯がボロボロで高額な治療費が必要になったが、用立て出来ず、電話口で切々と苦しみを訴えて、私にお金を求めたきたのだった。

幸せな誕生日なんて一度だってなかったけれど、その年の誕生日はいつにも増して最悪だった。
さらに、耳が遠くなり、何度も同じことを耳をつんざくような声で言い続ける父と話すと、私は気がおかしくなりそうだった。

自分を守るために、今はもう関わるべきではない。お金は送ったけれど、手紙も電話も、無視し続けている。
どれだけ負の連鎖を断ち切ろうとしても、何度もそれは足元に絡みついて、私を引きずっていく。その度に、私は逃れられない現実に引き戻される。

ただ、父の生活が平穏で、健やかであって欲しい。今までの人生で避けられなかった痛みが、どうか少しでも癒えてほしい。そう願っている。

父のことを思うと、いつも涙が出る。
なんの涙か、私にもわからない。

割り切りたいけど、割り切れない。
それが、私にとっての父という存在なのかも知れない。

(写真提供:写真AC)

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