人がいびつになるには理由がある
同じ県営住宅に住む男の子がいた。
白く剥げたランドセルに、いつも同じよれよれの色褪せたTシャツを着ていた。
私が住む団地は、村で唯一の賃貸の家で、低所得者層が集まっていた。
そこの子どもたちはみな荒れていて、学校で問題を起こすことが多かった。私の家以外はみな親がシングルで、働きづめのため、夜遅くまで子どもたちだけで過ごしていた。
その男の子は、憎まれ口を叩いて、いつも担任の先生に目の敵にされ、みんなが見ている前でパーンと殴られることもあった。
髪の毛や耳を掴まれて引きずられていく姿も見たことがある。
その子は小学4~5年生の時に引っ越してきたのだが、卒業を待たずに、また別の町に引っ越していった。
その子は確かに荒くれものだったけど、たまに見せる素朴で屈託のない笑顔を見るたび、根は悪い子じゃないんだろうなと思った。彼が荒れる時、私はその奥に悲鳴のようなものを感じていた。
私の姉は、よそからおやつをもらった時に独り占めしてしまう私と違って、まだ幼い時から、絶対に半分にして、「お母さんどうぞ」とあげるような子だったという。
そんな姉も、一時期荒れた時があった。
理由は知らないが、姉は中学の時不登校になった。
父は猛烈に姉を責めた。
その時の姉は、歩くナイフのようだった。
姉が私に当たると、それを見た父がキレるため、私は姉の怒りを買わないよう神経を張り巡らせた。
しかし、その後、姉を心から大切にし、存在を肯定してくれる人たちと出会って、嘘のように落ち着き、本当に穏やかになった。
人は人を憎む時、多くの場合、相手のバックグラウンドや過去を知らない。
その人がいびつになったのには、理由があると私は思う。
そして、相手の立場や年齢、経験を考えると、その憎悪は膨らんでいくのだと思う。
なぜその立場なのに、なぜその歳なのに。そうやって私たちは、相手に成熟していることを求め、あるべき像を押し付ける。
しかし、それを自分がそれをされたら、きっと息苦しい。精神的な成熟は、立場があったとして、歳を重ねたとして、それに比例するものでは決してない。