父に抱いてきた憎悪は今はない

父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできない。
いくら憎い父でも、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かった。

今まで、父を父としてしか見てこなかった。
父親なのになぜ。いい年なのになぜ。
そんな目でしか見てこなかった。
しかし、一人の人間として見れば、父はただ寂しい人だった。

「一度でいいから旅行してみたかったな」
たまに父はそう呟く。
貧困家庭で育ち、その後も一度だって贅沢をしたことがない。そのまま年を重ねた。

父を一人の人間として見る前に抱いていた憎悪は、今私の中にはない。
実家を出て、距離を置いたからこそ、父について知る余裕が生まれたのだと思う。
もちろん、どんな過去があっても、暴力が正当化される材料にはならないことだけは、強調しておく。

人は多面的な存在であると思う。今のネット世論を見ていると、一つでも相容れないことがあると、徹底的に人格否定する風潮が強いように思う。
しかし、私は対話する余白は残しておきたいと思っている。
一面的に見れば理解出来なくても、違う視点から見ると、それまで見えなかった真実が見えてくることもある。

(写真提供◎ヒオカさん)