ヤマタノオロチと格闘するスサノオノミコト。勝利して手に入れた剣が伊勢神宮へわたり、さらに東征におもむくヤマトタケルの手にわたることに(『小学国史物5年』《著:元島英三/小学館》より。国会図書館デジタルコレクション
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第17回は「レズビアンの亜種として」。

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相手が男だと気づかずに皇女へ心をよせたシキタエ

近松門左衛門は、いわゆる元禄文化を代表する作家である。その近松がヤマトタケルを主人公とする浄瑠璃の台本を、まとめている。『日本武尊吾妻鑑』がそれである。紹介ずみの作品だが、以前は書きもらしたことを、のべそえたい。

近松のえがくヤマトタケルは、生まれた時から女子のふりをさせられている。父である景行天皇の意向により、皇女のカシキヤヒメとしてそだてられた。そして、女になりすましたまま、西国を支配するヤソタケルのもとへ、とつがされている。その容色で新夫をたぶらかし、ころしてしまえと、父から密命もうけながら。

西国への輿入れには、忠臣のキビノタケヒコがしたがっている。その妹であるシキタエも、腰元としてつきそった。

兄のほうは、カシキヤヒメが男であることを、例外的に知らされている。しかし、妹はそれをおしえられていない。姫のことも、ほんとうの女だと信じつつ、つかえていた。

いや、奉仕するだけではない。シキタエはカシキヤヒメに、恋心をいだいていた。自分のつくしてきた皇女へ、相手が男だとは気づかずに、心をよせている。

自分は女なのに、どうして同じ女である姫のことが好きになったのか。シキタエは、このことでなやみくるしむ。近松は、そんな彼女の苦悩を、当人じしんの独白で、こうあらわした。

「ほんにあられぬ女が女に惚れるとは、神代にも聞かぬ事と我を制し誡しめても、儘にならぬ此心め」(『近松全集 第十二巻』 1928年)。

女が女にほれるなんて、ほんとうにありえない。超人的な神々のおりなす、なんだってありそうな神話にも、こんな色恋はないだろう。だから、自分も姫への想いをおさえるよう、つとめてきた。だが、それでも自分の心は制御しきれない。