5 近代の変遷
白浜温泉が温泉地として体裁を整えるのは、大正9年頃に白良浜付近でボーリングに成功し、大量の温泉が供給できるようになってからで、特に昭和初期に紀勢西線(現きのくに線)が開通してからは大勢の観光客が訪れるようになった。
昭和4年、昭和天皇は御召艦(おめしかん)「長門」で紀南地方に行幸を行い、いったん前述の綱不知(つなしらず)(桟橋)から白浜に上陸された後、「御座船」という特別仕立ての船で学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)の待つ田辺市の神島(かしま)へ向かわれた。南方熊楠の案内で神島を見学した後、二人は「長門」に戻り、天皇陛下は森永ミルクキャラメルの箱に入った粘菌の解説など約25分間にわたりご進講を受けた。
南方熊楠は天皇陛下の神島上陸を記念して、
「一枝(ひとえだ)もこゝろして吹け沖つ風わが天(すめろぎ)皇のめでましし森そ」
と詠み、自ら揮毫した記念碑を神島に建立した。
その後、二人は会うことなく、熊楠は昭和16年に逝去した。
昭和37年、再び白浜温泉を訪れた昭和天皇は、宿泊した「ホテル古賀の井」の屋上から
南方熊楠を偲び、
「雨にけふる神島(かしま)を見て紀伊(き)の國の生みし南方熊楠を思ふ」
という歌を詠まれた。
この歌碑は「南方熊楠記念館」の玄関前に神島に向かって建てられている。
温泉の町にふさわしく、町内には20カ所(宿泊施設の日帰り入浴を含む)もの共同浴場がある。
[泉質]ナトリウム・カルシウム─ 塩化物泉など[pH]7・9a[湯の色]無色透明[温度]78℃
[主な効能]神経痛、関節痛、慢性皮膚病など ●共同浴場:崎の湯、牟婁の湯、白良湯など
[共同浴場]金の湯、銀の湯
[所在地]和歌山県西牟婁郡白浜町
[アクセス]紀勢自動車道南紀白浜ICより車で20分。JRきのくに線白浜駅よりバスで15分