神奈川県、東京都からのサポートを受けて続けていく

なんと、川崎市が補助金の制度を作ってくれるという、ビッグニュースでした。 

世田谷区と隣接する川崎市からも、もみじの家にやってくる医療的ケア児は多く、50名ほどの登録者がいます。早速、尽力してくださった市の担当者に感謝の気持ちを伝えた後、一緒に行脚した事務長と小躍りして喜びました。 

そしてさらに、感激は続きます。今度は、横浜市からも吉報が届きました! 

もちろん、陳情むなしく無回答の方が多数ではありましたが、2つの自治体が新しい制度を整備して予算を計上してくれて、もう大感謝です。神奈川県に対する僕の愛着が一気に深まったことは言うまでもありません。 

実は、東京都からも支援をいただいています。こちらは、都内に住む重症心身障害児(重度の肢体不自由と重度の知的障害が重複した子ども)のためにベッドを優先的に確保すると、ベッド数に応じて決められた額が支給されるという制度です。

さらに、医療依存度の高い子どもを受け入れるために「促進員」を配置することで支援が得られる仕組みもあり、都からのサポートも充実しています。 

国が定める障害福祉サービス費に、自治体からの様々な報酬が加わることで、2019年度は必要経費の8割以上を公的な制度からの収入で賄うことができました。

 

※本稿は、『53歳の新人 NHKアナウンサーだった僕の転職』(著:内多 勝康/新潮社)の一部を再編集したものです。


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