依存を断つことができないのは、意志が弱いためではなく脳の問題。薬物依存に限らず、アルコール依存もギャンブル依存も買い物依存もセックス依存も、あらゆる依存症は恍惚感の刻まれた脳に支配され続ける病です。

先日、依存症の専門医と話をする機会がありました。「依存症の人は自分が依存症だという自覚はあるけれど、脳の指令に逆らえず、結果として罪悪感に蓋をしてしまう」と話していたのが印象的です。だからこそ、母も家族を裏切り続けることができたのでしょう。

また、その方から、「依存症の人は恍惚感を得るためなら手段を選ばない」と言われ腑に落ちました。母の心は薬を手に入れることに完全に支配されていたのです。

考えてみれば私を医者にすることに異常なほどに固執したのも、薬のためなのかもしれません。年老いていく父がいつか死んでしまったら、薬の供給源はなくなる。それを補うためには娘が跡を継ぐのが一番の方法でしょう。

最愛の娘ですら、依存の欲求を満たす道具としか見られなくなった母の脳は、あまりにも醜く、そして悲しい状態でした。

 

こんな母なら死んでほしい、と本気で思った

私が研修医時代に結婚したのは、優しい夫と巡り合うことができたからですが、一日も早く実家を出て母から逃れたいという気持ちも強かった。

ところが結婚すれば安泰というわけにはいきませんでした。ある日、父から「薬を渡すのを渋ったら、ママが暴力を振るうようになった」とSOSがあり、私は再び地獄へと引きずり戻されてしまうのです。

このとき相談に乗ってくれた薬物依存の専門医から、「依存症は手を貸す人間がいなければ成立しない」とアドバイスを受けてハッとしました。母に対して「薬をやめなさい」と口では言いながら、結局は注射薬を与えている。歪んだ愛の共依存関係にあることを諭されたのです。そこでその共依存を断つため、父と二人、家族のための収容施設へ2週間ほど逃げました。

その後も専門医の指導のもと、父と私の闘いは来る日も来る日も続きました。薬物を断つために可能な限りの方法を取りましたが、そう簡単に解決するものでもなく、依存症の根の深さを身に染みて感じることとなりました。

さらに父が肝不全で他界すると、母はよりいっそう私に依存するようになり、昼夜を問わず電話をしてきて「体が痛い」と訴えるようになります。とりあわないと何度でも救急車を呼んでしまいます。それでいて、親戚や知人には、私が父の遺産を盗んだと作り話を言いふらすなどメチャクチャで……。

寂しさゆえだったのでしょうけど、もう限界、こんな母なら死んでほしい、と本気で思いました。