どうやったらここで生きていけるか
2年目に二軍監督から指示され、外野手として選手人生の第一歩を踏み出した。3年目のオフに転機が訪れた。参加したハワイのウインターリーグで4か月間、1歳下のイチロー選手と同室になったのだ。
毎朝起きると、もうイチロー選手は部屋にいなくて、ウエイトトレーニングに励んでいた。
イチロー選手はこのウインターリーグで首位打者を獲得。木村は、彼が自分の野球に対する姿勢を変えてくれたと感謝している。
4年目は守備要員ながら一軍に在籍し、「やっと野球選手になれたな」と思っていたが、広島にトレードされた。「なんで俺が」と思ったという。
広島は当時、 野村、 江藤、前田 、音、 緒方、金本など名選手揃いで、自分が入り込む隙はないように思えた。移籍1年目の成績は出場わずか7試合で7打数ヒットなし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」を考えて、内野手の練習をするようになった。
移籍2年目(プロ6年目)はスイッチヒッターに取り組む。練習は人の2倍やらないといけないが、相手が右投手なら左打席、左投手なら右打席に立つことで、自分の体の近くから来て遠いところへ逃げていく球がなくなり、ヒットが打てるようになった。そしてプロ入り10年目には136試合フル出場を果たした。
プロ野球選手の「平均寿命」が8、9年と言われる中で、10年以上生き残ることができたのである。