プロ野球交流戦 巨人・木村拓也選手が西武戦で4回に逆転3点本塁打を放つ。宇都宮清原球場で。2009年6月16日撮影(写真提供:読売新聞社)

投げ出す前に、可能性を探るのも必要なのでは

34歳の時に、広島が選手の若返りを図っていて出場機会が減りそうだった。まだ子どもは小さく、家のローンも残っていたので球団にトレードを志願すると、決まったのは戦力が充実している巨人。

「出番を求めているのに、なんでジャイアンツなんだろう」と思ったが、入団すると怪我人が続出してチャンスがもらえた。巨人ではリーグ3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。

以前は成功しようと自分のことばかり考えていたが、チームが勝つ喜びは言葉では言い表せないほどだという。

木村は講演の最後をこう締めくくっている。

「自分は『こういう選手になろう』と思ってここまで来た選手ではありませんでした。こうやるしか思いつかなかった。それが『ユーティリティー・プレーヤー』『何でも屋』で、それでもこの世界で食っていける。(中略)『俺が一番うまい』と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかないこともあるでしょう。それもプロ野球です。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要なのではないでしょうか」

講演が行われたのは2010年3月2日。それから1か月後の4月2日、試合前のシートノック中に、木村拓也は突然意識を失って病院に搬送され、5日後に息を引き取った。くも膜下出血だった。38歳の誕生日の8日前だったという。