左から、芦川百々子さん、上沼恵美子さん(撮影:霜越春樹)
1971年に漫才コンビ「海原千里・万里(うなばらせんり・まり)」としてデビューし、瞬く間にお茶の間の人気者になった芦川百々子さん、上沼恵美子さん姉妹。苦楽を共にしてきた2人は、同じ年に結婚してコンビを解消しました。別々の道を歩んできた今、互いの存在の大きさを感じていると話します。結婚後も仲のよかったお二人、上沼さんはお姑さんとの同居で辛いことがあると、姉の芦川さんのところに通っていたそうです。
(構成=中岡ひろみ 撮影=霜越春樹)

<前編よりつづく

別荘を買う妹と別荘の写真をもらう姉

上沼 お姉ちゃんのところから次の日帰ってきたら、お姑さんに「私に腹が立つたびに、500キロ離れたお姉さまのところに行くんですか。うちはサラリーマンなのよ。主婦になったんだから経済感覚を持ちなさい」と言われて。それから、お姉ちゃんのところへはあんまり行ったらあかんなて思って。

結局、長男を出産したあと、料理番組で仕事にも復帰したしね。私は、燃え尽きてなかったのよ。「さよならリサイタルで緞帳を下ろしたけど、もう1回、緞帳を上げたい」って、お姉ちゃんに言ったよね。

芦川 そういえば、言ってたね。

上沼 最初は関西圏だけの番組だったけど、28歳から出演したNHKの『バラエティー生活笑百科』は全国ネットやから、お姉ちゃんも観てくれていて。

芦川 そうそう。楽しみやった。

上沼 あの頃は、電話代も高いし、お姉ちゃんとおしゃべりはあんまりできなかったなあ。

芦川 それぞれ子どもも2人になって、忙しかったしね。

上沼 お姉ちゃんも私も、生活するのに必死やった。それにしてもお姉ちゃんの何がすごいって、私の活躍をひがまへんところよ。

芦川 あ、それは言えるね。恵美子が『紅白歌合戦』の司会に決まった時、心からよかったと思ったもの。2人でずっと続けてたら、絶対に私が足を引っ張ってたと思うわ。

上沼 そんなことないよ!

芦川 だから、『紅白』の司会をする恵美子の姿を見て、私は辞めてよかったんやと思えたのよ。

上沼 お姉ちゃんは、ほんまにええ人やな。私やったらひがむもん。ムッとするわ。

チャイナ風の衣装で漫才を披露する海原千里・万里(写真提供◎ケーエープロダクション)