家康の娘の件も伝承にすぎない

あとは、徳川家康の娘が関係する二件。

一つは家康の次女・督姫が姫路城を築いた池田輝政と再婚するのですが、輝政にはすでに跡取りの男子、利隆がいた。督姫は自分が生んだ忠継を跡取りにしようと、会食の席で利隆の毒殺を試みるも、そうした母の企みを見かねた忠継は、出された毒まんじゅうを自分で食べて死んでしまった、というもの。

もう一つは家康の養女、満天姫の話。福島正則の養子と政略結婚した満天姫は、夫が若くして亡くなったため、一人息子を連れて実家に帰っていた。やがて彼女は弘前の津軽家に嫁いだが、息子は家老の大道寺家に養子として迎えられ、直秀を名乗った。

ところが、直秀の生家である福島家が幕府に睨まれ、取り潰された。直秀は福島家の再興を幕府に訴え出ようとしたが、彼のその行動は津軽家に迷惑をかけるものと見なされた。直秀は江戸に向かう前日に満天姫に挨拶に行ったが、そこで出された酒と料理を口にすると突如苦しみだし、絶命した、という。

家康の娘の二件は、良質な史料に記されたものではなく、伝承にすぎません。とくに池田忠継については墓所を動かすときに調査がされ、毒殺の痕跡は見当たらなかったそうです。

ナポレオンの遺体、毛髪からヒ素が検出されたのは有名ですが、今のところ日本ではそうした事例はないと思います。