人の気持ちがわかるようになった大人こそ“清い”のでは

でも、勘違いしないでください。清い=純粋ではありません。

むしろ僕は、ある程度の努力や経験を繰り返したのちに、人の気持ちがわかるような心を持った状態こそ“清い”と思っています。それが心を〝清める〞ということなのです。

友達と楽しみを共有し合ったり、コミュニケーションをとって人脈を広げたり、恋愛をして感動したり傷ついたりすることは、心を清めるためにしていることだと言えるのではないでしょうか。

灯りを一心に見つめるシークエンスはやともさん(写真:シークエンスはやともさんのインスタグラムより)

大人こそ、清くないといけないのです。というのも、大人は子供たちにとっての理想型であり、現実問題を定義する存在でいるべきだからです。

お金の稼ぎ方云々よりも、人間としてどう生きていくべきか、自分の人生をもって清め方を提示するのが、大人の役割だと思うのです。