「あまり苦労を知らずに育ったため、デビュー当時、周囲から『ちえみにはハングリー精神がない』とよく言われていました」(撮影◎本社 奥西義和)
「花の82年組」としてアイドルデビュー、『スチュワーデス物語』などで一世を風靡した堀ちえみさん。7人の子どものお母さんとしても奮闘、バラエティ番組などで活躍していましたが、2017年にリウマチと神経障害性疼痛、19年には舌がんを発症。がんの手術から復帰にいたるまで、体だけではなくさまざまな壁があったと言います。自身の苦しい経験から、腫瘍精神科部長の清水研先生との対談本を出版することに。現在の心境を聞きました。
(構成◎上田恵子 撮影◎本社 奥西義和)

「ちえみが新人賞を取るのは無理だと思う」

今年、デビュー40周年を迎えました。もう40年も働いたのかと思うと、自分でも驚いております(笑)。私は14歳で大阪から上京、15歳でデビューしました。

1982年にデビューした同期には、中森明菜ちゃん、小泉今日子ちゃん、三田寛子ちゃん、石川秀美ちゃん、シブがき隊、早見優ちゃん、松本伊代ちゃんたちがいました。皆とは当時も今も仲が良く、つい先日も伊代ちゃんと会ったばかり。何十年たっても親交がある、大切な仲間たちです。

私はあまり苦労を知らずに育ったため、デビュー当時、周囲から「ちえみにはハングリー精神がない」とよく言われていました。両親からも「ダメだと思ったら帰ってくればいいんだからね」と送り出されるなど、芸能界で生き抜けるようには見えなかったようです。

実際は「1番じゃないと意味がない、2番ではダメ!」と負けん気が強く、不可能とか無理という言葉が何より嫌いなタイプだったんですけどね。(笑)

デビューした年の秋に「年末のレコード大賞の新人賞は5枠だけど、ちえみは入れないかもしれない。新人賞は無理だと思う」と言われた時も、「なぜまだ決まってもいない段階で諦めるんですか? 私は今年、精一杯頑張りました。入れないなら歌手をやめて大阪に帰ります!」と、ワンワン泣きながら抗議したくらいです。

そんな私を見たスタッフが、「確かにそうだね。まだ可能性があるのに後ろ向きなことを言うなんて、僕が間違っていた。15歳の子どもにそこまで言わせてしまい、申し訳ない」とおっしゃってくれました。そして、全国にいる審査員の先生方のところに、私や私の楽曲について、会いに行って熱心に説明をしてくれたのです。

我ながら生意気だったと思いますが、それくらい全力でアイドル活動をしていたんですね。82年の新人賞に選ばれたのは、石川秀美ちゃん、シブがき隊、早見優ちゃん、松本伊代ちゃん、そして私の5人でした。スタッフの皆さんに感謝し、「人生で無理なことなどない。何事も諦めたらダメだ」と強く思った出来事でした。