芸能活動に限界を感じ、デビューして5年で引退
83年にはドラマ『スチュワーデス物語』に出演。ドラマが大ヒットしたご褒美ということで、翌84年は歌に専念するスケジュールを組んでいただいて、NHK紅白歌合戦への初出場も果たせました。
けれど85年になると再びドラマや映画の仕事が増え、歌手活動が減少。それに比例してレコードのセールスも落ち、ライブをやっても空席が目立つようになりました。私は歌手になるためにこの世界に入ったつもりでいたのですが、事務所が求めていたのは、歌もバラエティもドラマもまんべんなくこなす「マルチタレント」。方向性について毎日のように事務所と話し合ったものの、双方が幸せになれる結論が出ることはありませんでした。
仕事が忙しすぎたのも辛かったです。自由になる時間がまったくなく、映画もお芝居も観に行けない。だけどお芝居はしなくちゃいけない。私の引き出しはとっくに空になっているのに、外から得る時間がないため中身を補充することもできない。恋愛はご法度だからきっと結婚もできないだろうし、子どもも産めない。私の人生どうなっちゃうのかな……と、毎日そんなことばかり考えていました。
見つかれば週刊誌の記者に写真を撮られるので気晴らしに表を歩くこともできず、出かけようとするとマネージャーがついて来る。目上の方に相談しようにも、外で会うことができないので自宅にお招きすると、まるで特別な関係であるかのように書かれる。他に何人も女性がいるのに、男性と2人きりでいたかのような写真が掲載されるのでどうにもならないのです。
疲労とストレスから急性胃炎になった私は、「芸能界をやめます」と事務所の社長に告げました。今思えば、遅れてきた思春期だったのかもしれません。スタッフは「ニューヨークで1年休業して、また戻ってくればいいよ」と引き留めてくれましたが、引退を決意して大阪に帰ることにしたのです。1987年、デビューから5年での引退でした。
20歳で芸能界をやめると決めた時には、周りにいた多数のスタッフが一斉に去っていくということも経験しました。いよいよ大阪に戻るという日、東京駅で見送ってくれたのは数名のスタッフだけ。「もう一度考え直さないか?」と何度も言ってくれたスタッフの声を、今でもはっきり覚えています。