伊賀氏の変はでっちあげだった?

史実でいうと、伊賀光宗はすぐに鎌倉へ帰ってきて、幕府の運営に携わります。なので伊賀氏は没落するどころか、この後も繁栄していきます。

また、兄に逆らうかたちとなった政村も罰されることなく順調に昇進し、やがて七代目の執権に就任しました。

このことから、研究者の中には「伊賀氏の変はでっちあげだ」という人もいます。政子は、伊賀の方が新しい女性権力者になることを恐れた。そこで伊賀の方に冤罪を着せて失脚させ、自身の権力を守った、というのです。

でも、三谷さんは政子を悪女としては描かない、というわけですから、この解釈は採られないでしょう。

となると、残るはやはり毒殺説です。以下はあくまでぼくの想像ですが…。