人が多くいる場面ではなく、その人の周りにはちょうどそのタイミングでは人がおらず、なおかつ、振りでこちらを見た瞬間に少しだけ目が動いた、というだけなのでいくらなんでも勘違いだろうなぁ……とそのとき私は思った……のですが、それまではこちらの方を向いてもオペラにどんぴしゃの視線ではなかったその人が、そのあと終幕までこちらの方角を向くときは必ずオペラにどんぴしゃの視線を表情付きで送ってくれ、パレード(ショーの最後にみんなが出てくるところ)ではお辞儀のシーンでオペラに向かって目を見開いて「見えてます」みたいな目をしてからお辞儀をしてくれた。

 という、勘違いをしていたとしたらなかなかとんでもないレベルの話をしていますが……いくらなんでもこれが全て勘違いな訳なかろう……というのは私だってわかるよ、タカラジェンヌの視力をなめてはならぬ……となり、その日はそれこそ「観劇体験」が胸に刺さってそのことしか考えられなかった。2階席の、それも奥の方は絶対に舞台の上からは見えないと思っていたし、見えたところでその場所を覚えて視線を送り続ける人がいるとは思わなかった。終演後オペラを外して肉眼で舞台を見ると、やっぱりめっちゃ遠い、こんな遠いところにある客席のオペラを見つけてずっとちゃんと見ようとするってなんだろう。なんなんだろう? よくわからない……すごい……視力が100だ……いや視力の話がしたいんじゃないんだよ私は……。

 あの人は本当に、その日のその回の公演を「一度だけの公演」として大切にやっているんだなぁ、と思った。観客である私にとっては「一度きり」でも、舞台に立つ人は毎日毎日そこに立つのに、それでも、その日だけの何かをその人は見つけて、そしてひとつずつ、その瞬間だけのものとして大事にしている。私はだからこそそのときのその舞台をその場でともに過ごしているんだと、そう実感することができる。これはその一端のできごとだ。とても光栄で、幸せなことだと思った。