蜷川さんからは怒られたことがない
そして再び蜷川幸雄。亡くなるまでの間、ずいぶん共に舞台を作っている。そしてその間、『太鼓たたいて笛ふいて』(井上ひさし)で、読売演劇大賞最優秀男優賞も受賞。
――蜷川さんとは櫻社以来、21年ぶりに『オセロー』をやりました。今の白鸚(当時、九代目松本幸四郎)さんがオセローで、僕はイアーゴ。それからは定期的に、そして晩年は本当に頻繁に、連続で話が来るようになりました。
中でも三島由紀夫の『わが友ヒットラー』と『サド侯爵夫人』を昼と夜で、合計7時間分を一日でやるというのがあって。三島作品は、そもそも自分でプロデュースするなんておこがましくてできないし、やろうとする人もいない。
だから急に蜷川さんが「三島をやるんだけど」って言った時に飛びついちゃいました。やれるのは今しかないと思って。大変なことはやってから気がつきましたけど。
『わが友』は四人全員男、『サド』のほうは全員女の役を男優六人で演じるんです。東山紀之がルネで、その妹が生田斗真。ジャニーズの二人は綺麗だからいいし、ルネの母親役の平幹二朗さんは女方もやれる方。
蜷川さんが唯一懸念したのが俺のサン・フォン伯爵夫人。麻実れいさんとかがやる役ですからね。でも、その時妙に楽しかったんですよ、女性の役が。やっていてまったく違和感がなかったです。(笑)