「万事は掛川城のごとくせよ」
復元に際しては、残された図面によっていますが、実は高知城の天守が参考にされたようです。
「なぜ高知城が?」と思われた読者も方もいらっしゃると思いますが、先述した一豊が関ヶ原の戦いの後に土佐一国の太守に栄転し、そこで高知城を築いた。
その際に「万事は掛川城のごとくせよ」と命令していたらしい。
ですので、今度は現存する(といっても、江戸時代に建て直されてはいるのですが)高知城の天守を模倣した、というわけです。
この3月末まで、掛川城の天守閣は修復工事中とのことですが、終わったらまた美しい姿を見せてくれるでしょう。
戦国大名としての今川氏の最後を見届けた名城・掛川城。一度、足を運ばれてはいかがでしょうか。
『「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。