貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第35回は「人生初のライブ」です。

プチ自分改革

先日、人生で初めてライブというものに行った。

大学生の時、周囲の友達はよくライブに行っていて、チケットを獲れるかどうかに気を揉んでいた。
中でもよくお昼を一緒に食べていた友達は、大好きなアーティストのチケットの当落の発表日、落選の結果が届くと朝からお通夜モード。机につっぷしてまともに口も聞いてくれない。
バイトを頑張るのはファンクラブに入り、少しでも当選確率を上げ、ライブに行きたいから。それくらい好きなアーティストが生活の中心だった。

そんな友達を見ながら、微笑ましく思いながらも、3000円ほどの出費も生活に大打撃のため、めったにしないような苦学生だった私にはライブは縁遠く、話は聞きつつも自分には関係ない、と思っていた。
一生に一度は生で演奏を聴いてみたい、そう思うアーティストはいたが、ライブは私にとっては高級品。さらにファンクラブに入るとなると固定費だ。とてもじゃないけど手が届かない。

大人になって、自分は生活の文化的な部分が欠落していると感じるようになった。
友人を観察すると、季節のイベントを楽しむことを忘れなかったり、インテリアを工夫したり、人気のお土産をチェックしたり、息をするように、生活が豊かになる工夫をしている。

もちろんそれはある程度生活に余裕があってこそだが、その習慣はすごく興味深かった。
私は何も意識しないと職場と家の往復。クリスマスだろうが誕生日だろうが何もしない。
そんな自分を変えたい、と思っても、忙殺され、毎日をこなすので精一杯。
でも、以前のコラムで書いた通り、1人暮らしを始めて気持ちの変化が生まれ、好きなアーティストや芸人の動画を見る時間が、今まで以上に生活を支えてくれていると感じるようになった。
豊かさとは、最低限の衣食住だけで生まれるものではないのだ、と悟るようになった。
私のような人は、文化的な生活を意識して、半ば「矯正」していく必要がある。
それは決して無理矢理、ということではない。何もしなければ無味乾燥になる日常だから、意識的に変化をもたらす努力が必要だと思うのだ。
少しずつ少しずつ、意識や行動を変えていくことで習慣を変化させていくことができる気がする。
そう思い、プチ自分改革を決意。