地味というヴェールの下にあるもの

そんな信子は、バイト先の「入江博基」に恋をしている。彼を好きになったきっかけは「重たい物を持ってくれた」から。さすがモブ子としか言いようがない、ドラマチックさの欠片もないきっかけだ。

しかし、ただの女の日常においては、些細なことがそれなりの重みを持つ。基本が凪だから、波風が少しでも立てばそれはもう立派な事件なのだ。

他の人からすればなんでもないような出来事にいちいち心動かされるのが、ただの女の人生だ。そういう生き方を人は地味呼ばわりしがちだが、これほど丁寧さや、忍耐強さ、繊細さを求められる生き方もない。

地味というヴェールの下には、丁寧な日々の生活があることを忘れてはいけないと思う。

入江くんに片想い中の信子だが、早晩この恋は動き出す。そうなれば、信子はモブ子ではなくなるかもしれない。なぜなら、恋には女をヒロインにする力があるからだ。

しかし、彼女の恋はちょっと様子が違うようだ。入江くんに恋したことでいろんなことが変化するにはするのだが、そこまで劇的じゃないというか、モブ女子としての揺るぎなさがすごいのである。

こうなってしまう原因は入江くんにもある。なぜなら彼は、信子に負けるとも劣らない「ただの男」なのだ。いいやつなんだけど、とにかく控え目で、自己評価が低い。

信子に対して「ええとその/実際 俺暗いので…本当に…/だから えっと感じ悪い所もあったと思うので…」とか言っちゃうくらい低い。これはどう考えても、信子と同じ「脇役でいる方が落ち着いてしまう」タイプだ。そりゃ燃え上がるような恋にはならないよねという話である。