才能の有無を基準にすると家が割れる

ただし、後継問題がいい加減だったのは、秀忠まで。

三代になると、家康は儒教を採り入れて、将軍の世子は年長の男子、と定めます。

才能の有無を将軍選びの基準にすると、家臣が割れる。徳川家が割れる。そうなると幕府は瓦解する。だから家臣がきちんと支えるのなら将軍は誰でも、それこそ少しくらい愚かでも構わないーー。

それが家康の辿り着いた考えのようにも思いますが、その辺りはまた詳しく見ていく機会があるでしょう。

【関連記事】
本郷和人 夏目広次が名前を間違えられていた裏側に「歴史研究の成果」が。織田は「信」、徳川は「家」。戦国武将の名前はどう決まったのか『どうする家康』
本郷和人 なぜ家康は「特Aクラスの戦犯」上杉・島津・毛利を関ヶ原後に取り潰さなかったのか?外様に領地を与え、譜代に領地を与えなかった統治の妙
本郷和人 三方ヶ原で家康を撃破!武田信玄最期の西上作戦、その真の目的とは?甲斐の地を愛した信玄が勝頼に託そうとしたもの「どうする家康」

「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。