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経験と熱量で仕事をしていた

沢田は、女性誌のアンケートで好きな言葉に「逆も真なり」を挙げていた。なぜ、若い沢田から木崎を覚醒させる言葉が出てきたのか。

「ジュリーは早くに社会へ出て、多分1日を普通の人の1週間や10日間に匹敵する経験と熱量で仕事をしていたと思います。凄い勢いでいろんなことを学んでいったんでしょう」

沢田研二の前に、歌謡界の巨星、阿久悠が現れたのは、スターの結婚の年でもある75年のまだ浅い時期であった。

尾崎紀世彦の「また逢う日まで」や、ペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」など次々とヒット曲を生んでいた阿久悠は沢田より11歳年上で、当時は30代後半だった。

日本テレビの「スター誕生!」の審査員として都倉俊一らと毎週日曜朝にテレビに出演、「せんせい」で森昌子をスターにし、渡辺プロ一強の時代からプロダクションが群雄割拠する時代へ移行するきっかけを作ったこの番組の企画者でもあった。