徳川は譜代の団結で外様を凌駕する方法をとった

こう書いてみると豊臣政権との差が結構あることに気づきます。いったいなぜか?

そのことを考えるなら、やはり豊臣政権と徳川政権のそもそもの成り立ちに立ち戻らなければならないかもしれません。

秀吉は協力を約束してくれたアウトソーシング組=外様大名に、高い報酬を払う必要があった。外様に対抗するために懸命に政権内部で子飼いを育成した反面、外様とのバランス上、質的に輝きを見せ始めた有能な譜代には、それなりにサラリーを与えねばならなかった。

家臣団の質で外様と勝負、ですね。

ところが家康なんかはもともと家臣団を有していた。アウトソーシング組=外様に対抗する際には、数で勝負することができた。

だからエース社員のサラリーもなるべく安めに抑える。家臣みなに広く薄くサラリーを与え、自社で育成した徳川譜代の団結で外様を凌駕する、という方法論をとったのではないか。

ここのところ体調を崩していたので、ベットで寝転びながら、そんな妄想を膨らませていました(苦笑)。


「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。