救急搬送された父
父のうめき声に気づいた僕が様子を見に行ったのは4時頃。全身が痺(しび)れ、動かないという。すぐに救急車を呼んだ。幸い、大城先生が勤務する大野病院で受け入れてくれるということで、そこに父は救急搬送された。
その日は、ラクナ梗塞から1年経って大野病院で検診がある日だった。僕は当初、脳梗塞を疑った。それも悪いかたちで再発したと。ところが脳のMRIをとっても異常ナシだった。
そこで次に、首のところにある神経「頸髄(けいずい)」を診ることになった。すると、大城先生がちょっと異常があることを発見した。
だが、大野病院は頸髄は専門ではない。そこで、国立病院機構 北海道医療センター(以下:北海道医療センター)に慌ただしく移り、そこで「頸髄硬膜外血腫」という病名であることがわかった。
僕も初めて耳にするものだった。それもそのはずで100万人に1人の珍しい症例だという。「頸髄硬膜外血腫」は頸髄の膜が破れて血液が流れてできた血腫が、神経を圧迫する状態だとか。その日の昼すぎから夜にかけて、父は血腫を取り除く手術を受け、そのまま入院生活に入った。
まだコロナワクチンも開発されていない時期だったので、家族の付き添いも制限された。あの頃の医療機関の緊迫感というのは、本当に緊急事態を感じるものだった。