生まれて初めて見た父の弱気な姿

父は手術から3~4日後あたりがもっともきつかったらしい。ようやく面会が許された母が「元気出して」と声をかけたら「頑張りようがないんだ」と答えていた。

その模様は病院のスタッフの方が動画に撮って見せてくれたのだが、そんなネガティブな父の姿は信じられなかった。物心ついて半世紀になるが、あんなに弱気な三浦雄一郎の姿を見るのは初めてだった。

父は86歳のアコンカグア遠征から1年半後、おそらく人生で初めて経験するような《苦しく、つらい状況》に陥ったのだ。担当の医師いわく、父の年齢なら完全に回復するとは限らないとのことだった。少なからず影響が出るだろうと。

だが、父はそこで諦めなかった。僕たち家族もそうだった。

頸髄硬膜外血腫という病気についてよく調べてみた。すると、病状にはいろいろあり、その後は完全に回復している人から、寝たきりになっている人まで差があることがわかった。

「リハビリ次第ですね」と医師はいう。「だったら、父には有利だな」と思った。

これまで、父は骨折などでリハビリは何度も経験してきているし、起き上がれるようになる、歩けるようになる、といった目標を設定すれば頑張るだろう。

骨盤と大腿骨(だいたいこつ)の付け根を骨折した大変なときも、普通なら寝たきりになってもおかしくない状態だったのに、数年後にはエベレストに登っていたのだ。

うちの父なら今回も寝たきりにはならず、ある程度は回復するか、もしかすると完全回復もするかもしれない。