なるようにしかならないときの考え方
正直、病院に運ばれたときは、「オヤジもここまでか」という気持ちはゼロではなかった。しかし、「なるようにしかならないだろう」という開き直りもあった。
今までもなるようにしかならない状況は幾度も経験している。エベレストでは、標高8000mを超え人間の生存が困難なほどに酸素濃度が低い《デスゾーン》で、悪天候により3日、4日、5日と待機を強いられたこともある。
これは別にエベレストに限らない。人生においては、どんな人でも「なるようにしかならない状況」におかれることは何度かあるのではないか。
そうなったら、その環境でできることをやるしかないだろう。
ただ、父の場合は、歩くことも、立つこともできない状態だ。その状態で、復活するためのプランを自分でたて、随時、的確な判断をしていくのは極めて困難だ。そこで、姉の恵美里、兄の雄大、そして僕の3人が対策を講じていくことになった。
父と僕らきょうだいにとって、できることはリハビリだった。100万人に1人の病気だとしても、最悪の事態は避けられた。父はまだ生きている。
「リハビリ次第」ならば、できることをやっていこう。その点ではきょうだい3人とも考えは一致していた。
幸い、父にせん妄や意識が混濁するといったことはなかった。「リハビリ次第」だということを理解した父は、いつもの三浦雄一郎に戻っていた。
※本稿は、『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)の一部を再編集したものです。
『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)
1960年代から90年代は、エベレストや富士山直滑降、世界7大陸最高峰からのスキー直滑降など、前人未踏の記録達成。2000年代は、70歳を過ぎてからの三度のエベレスト登頂や、86歳での南米最高峰の山・アコンカグアへの登頂挑戦。冒険家、三浦雄一郎さん(90歳)は、人生の各ステージで、そのときの自分にできる最大限の闘いを続けてきました。その稀代の冒険家が、「要介護4」の状況からのリハビリ生活のなかでめざす“次の冒険のステージ”とは?障がいを持つ身体であろうと、他者のサポートを得ながら臨む “新たな冒険”。人は、何歳になっても、あるいはどんな障がいを持っていても、「挑戦」することができる!