まもなく関ヶ原の戦いを迎えるNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。一方「婦人公論.jp」ではドラマの解説記事を、東京大学史料編纂所・本郷和人先生に連載いただいてまいりました。クライマックスを迎えるにあたり、思い立った我々編集部は読売旅行さんと相談、先生のご解説を交えて家康の岐路となった古戦場を巡るツアーを開催しました! 巡ったのは桶狭間、長篠・設楽原、小牧・長久手、そして関ヶ原の4カ所。日本史や家康、ドラマや先生のファンにとって、たまらない旅となりましたが、今回記事を通じてそのコースをたどり、現場ならではのロマンと知的興奮を読者の皆さんにおすそ分けいたします。その1は「桶狭間」について。
あらためて桶狭間の戦いとは
まず東海道新幹線・こだまに乗って向かったのは愛知県にある三河安城駅。
駅からはさらにバスへと乗り換えて、桶狭間に向かいます。
あらためて桶狭間の戦いとは、永禄3年5月19日(1560年)に尾張国知多郡桶狭間で起きた織田信長軍と今川義元軍が行った合戦のことを指します。
一般的には、25,000人の大軍を率いて尾張に侵攻した今川義元に対して、2,000人の尾張・織田信長が本陣を奇襲。または正面から攻撃して、今川義元を討ちとった、などとされています。
戦後には今川家が没落する一方で、織田信長が畿内制圧へ台頭するきっかけとなりました。また松平元康(徳川家康)は三河で独立を回復。信長と清洲同盟を締結するに至ります。
そうした背景について、本郷先生お手製の資料を手元に、楽しいおしゃべりを交えながら解説をいただいたところで、バスは桶狭間の古戦場に到着。
なお、桶狭間の古戦場とされる場所には候補が複数存在し、たとえば愛知県豊明市栄町南館の「桶狭間古戦場伝説地」などもあるそうですが、今回は愛知県名古屋市緑区桶狭間北にある「桶狭間古戦場公園」周辺を散策することに。
そしてバスを降り、公園から周囲を見渡してよくわかったのですが…
古戦場跡は静かな住宅地となっていました。今見ている限りでは、ここが歴史を変える合戦の舞台になったとは、なかなか想像がつきません。