本当に出会いの場がない
牛窪恵さんの『恋愛結婚の終焉』(光文社)に、マッチングアプリで選択肢が多すぎて、この人!と思う相手に出会えないという若者について、こんな記述がある。
私は、婚活アプリを利用する若者たちから「いい人がいない」「これと思う相手に出会えない」と聞くたびに、マーケティング調査でよく耳にするセリフを思い出します。
それが、「着ていく服がない」。
(中略)
彼女たち(彼ら)は、決して「服がない(少ない)」わけではありません。むしろ、ストックが多すぎて選ぶのがストレスだからこそ、往々にして「どれも決定打に欠ける」と服のせいにして、「手持ちの服からは選べない」と決定を避けたり、「市場(自宅の外)には、もっといい服があるはず」だと、あえて外に目を向けたりしているのです。
(p193~p194)
私の周囲でも、同世代は異口同音に「出会いがない」と言う。それは思い込みだけでなく、事実として、少なくともアプリ以外では本当に出会いの場がないのだと思う。職場と家の往復という人は、人間関係が職場以外になかったりする。合コンや知人からの紹介という文化は廃れつつある。恋人に限らず、友達だって作る機会がない。
大学生までは、同世代が強制的に同じ箱に入れられ、コミュニケーションを取らざるをえなかった。それはそれで息苦しくもあったが、社会に放り出されると、逆によほど自分から積極的に行動しなければ、新しい人間関係は生まれない。
私も、自分の周囲を見渡して、同世代は絶滅したのか?と思うことがよくある。仕事で関わるのは40代以上ばかり。それはそれでいいのだが、やはり同世代でも話せる人が欲しいなと思う。常に同世代と出会うことがない、ない、ない!と思っている。
渋谷や原宿を歩けば、普段全く見ない同世代の若者が溢れるほどいて、いったいどこに潜んでいたんだい?と言いたくなる。確かに同じ日本には存在するのに、本当に接点がない。