人類は死を弔う儀礼を行う(写真提供:Photo AC)
「死んだらどうなるのか」「天国はあるのか」。古来から私たちは、死や来世、不老長寿を語りついできました。謎に迫る大きな鍵になるのが「宗教」です。日本やギリシアの神話、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から、仏教、ヒンドゥー教、そして儒教、神道まで。死をめぐる諸宗教の神話・教え・思想を歴史的に通覧した、宗教学者・中村圭志氏が綴る『死とは何かーー宗教が挑んできた人生最後の謎』より一部を抜粋して紹介します。

霊魂信仰と葬式の起源

人間以外の動物は、霊魂観も来世観ももたない。人類がそのようなものを考えるようになったのは、どのような身体的・環境的・進化的条件によるものだろうか。

神話の共有が150人という親密な集団の人口最大値を超えた規模の集団の維持に役立ったという進化心理学 者ロビン・ダンバーの説はここにも当てはまるだろうが、本節では神話的思考の中核をなす、霊魂が存続するという観念の起源を考察した哲学者ダニエル・デネットの議論を見ていきたい。

デネットは、人類が死をめぐって情緒的な反応を示し、弔いの儀礼を行ない、死後も存続する霊魂の観念をもつようになったのは、高等動物に本能的に具(そな)わっている「指向的構え」を人類がきわめて高度に発達させたことを条件としていると考えている(『解明される宗教進化論的アプローチ』)。

哺乳類や鳥類の一部は、生き物とそれ以外とを識別し、生き物である相手の動きを読む。イヌもカラスもライオンもシカも、目にした別の動物が一定の見方で周囲やこちらを見ていることを知っている。

そしてその動物もまた、自分の欲求に合わせて合理的に振る舞おうとしていることを知っている。相手の意図(指向)を読む(インテンショナル)というこの無意識的なスタンスが指向的構え(intentional stance)だ。