『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるさんの娘・原口尚子さん(左)と、『銀河鉄道999』の作者、松本零士さんの娘・松本摩紀子さん(右)(撮影:大河内禎)
〈発売中の『婦人公論』11月号から記事を先出し!〉
漫画やアニメで今も親しまれる『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるさん。『銀河鉄道999』をはじめ、人々のロマンを掻き立てる作品を多く手掛けた松本零士さん。ともに父亡き後、プロダクションの代表に。娘が語る父親の素顔は――(構成=大西展子 撮影=大河内禎)

前編よりつづく

何が「普通」かわからなかった

原口 水木は自分の戦争体験をあまり家族には話しませんでしたね。話したとしてもポジティブなことばかりだったので、子供の頃は戦争って楽しいんじゃないかなと思っていたぐらいです。

例えば、「戦時中はすごく腹が減って缶詰を手で開けたんだぞ。日本に帰ってきて同じことをやってみたけど、どうやっても開かなかった」とか、現地の人と仲良くなって食べ物を分けてもらったとか、踊りを見せてもらったとか、「ホント、楽しかったなあ」って。

ただ、父のエッセイを読むと、激戦地に行って左腕を失いながらも生き延びるという大変な経験をしていたことがよくわかります。

松本 本当に過酷な戦争体験をなさったのですよね。

原口 そういえば、私が中学生の頃、部屋に大好きな松本先生の戦場まんがシリーズが並んでいるのを見て、「松本零士は本当の戦争を知らんから」って父が言ったんですよ。松本先生は年が若く従軍していないので、そう言ったのだと思います。

父の戦争物は悲惨な描写が多いけど、松本先生のはロマンがあって、思春期の少女が読んでも「素敵だなあ」と思っていたので、当時は、「お父ちゃん、何言ってるの」って(笑)。父は戦地でのつらいことは話さなかったので、私は戦場の過酷さを理解していなかったんですよね。

松本 父が愛媛県の新谷村という疎開先で昆虫捕りや川で遊んだりして少年らしい時期を過ごしたことは『昆虫国漂流記』にも描かれていますが、機銃掃射を見たことで戦争の怖さを知ったり、そこにはまた、戦後のことも描かれています。

小倉に引っ越したものの、一家9人、ものすごい貧困を味わったりね。その時に、戦争に負けるとどうなるか、身をもって知った、と。

原口 大変なご苦労があったんですね。