昨年、92歳の母を見送った岡田美里さん。老後の世話はしたくないと思っていた母を引き取り、孤軍奮闘した日々と、長年のわだかまりを手放すことができた理由を語りました。(構成:丸山あかね 撮影:洞澤佐智子)
母の好物を初めて知って
こうして19年の8月、豊かな自然に囲まれた新天地、山梨へ出発。引っ越してすぐ、母の要介護認定を申請したところ、3ヵ月後に要介護2に認定され、ヘルパーの方が来てくださることになり一安心。
ですが、初めての同居で起こる想定外の事態の連続に、毎日悲鳴を上げていました。その最大の原因は、とにかく私が母のことを知らなすぎたこと。食事のときも、「ママはキュウリが好きだったのか」「ブドウパンに目がないのね」と、初めて知りましたから。
あれは引っ越して1週間くらい経った頃のこと。私が段ボール120箱分の荷物整理に奮闘していると、「ミリちゃーん」と呼ぶ母の声がして、家中を探し回ったものの姿は見えず。もしやと思って外へ飛び出すと、母は玄関先の段差で躓いて転んで動けなくなっていました。血は出ているし、手も骨折しているようで、大慌てで病院へ。
一人で散歩に行くところだったという母には、「出かけるときは、必ず私にひと声かけてね」とお願いしました。その後も同じようなことがあるたび、「ママは一人で生きているわけじゃないのよ」と言い続けていたのです。
母には母のやりたいことがあると思うのですが、私の都合もあることをわかってもらえない。よく知っている人なのに知らないことばかりで、とまどいっぱなし。片づけの合間、ふと鏡で自分の顔を見たら、顔全体がグッと下がっていて――笑わない暮らしをしているとこんなに人相が変わるのかと驚きました。