(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
「芦毛の怪物」と呼ばれ、多くの人に愛された名馬・オグリキャップ。今回は、オグリキャップとその関係者達を現役当時から取材してきたノンフィクションライター・江面弘也さんの著書『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』から一部を抜粋し、その思い出を振り返ります。

連闘の是非

驚きの発表があったのは1989年10月29日に開催された天皇賞の翌日だった。オグリキャップはマイルチャンピオンシップからジャパンカップに向かうと、オーナーの近藤俊典から発表されたのだ。

その日の朝、スタッフや獣医師が馬の状態を確認し、悪いところもなかった。激しいレースがつづいても疲れたようすも感じられない。食欲が落ちることもなく、いつものように飼い葉をあっという間に平らげてしまったという。その姿に意を強くした関係者はGIの「連闘」(2週連続でレースに出走すること)に踏みきったのだ。

ジャパンカップの前にマイルチャンピオンシップに出走するという噂は前々からあったが、まさか実行に移すとは――。記者から「強行軍では」と質問された近藤は「いやいや、怪物の怪物たるゆえんを見せますよ」と、軽くいなしている。

これには様々な声があがったが、その多くは否定的な意見で、ファンを中心に批判が噴出した。

「オグリがかわいそうじゃないか」

「馬主はそんなに金がほしいのか」

そんな声が圧倒的多数を占めるなかで、肯定的な意見もあった。「馬は調子がいいときに集中して走らせたほうがいい」と言う専門家もいた。

海外競馬評論の第一人者で、『優駿』で「海外ニュース」を書いていた石川ワタルも「オーストラリアでは連闘する馬はめずらしくない」と言っていた。たしかに石川の言うとおり、オーストラリアには中1週ぐらいの間隔でGIを戦っていく馬は多く、翌年のジャパンカップに勝つベタールースンアップは10月27日と11月3日のGIを連闘で勝ってから来日している。

前年のジャパンカップに優勝したアメリカのペイザバトラーは、9月に西海岸サンディエゴ近郊のデルマー競馬場と東海岸ニューヨーク郊外のベルモントパーク競馬場で走り、10月9日にベルモントパーク競馬場のターフクラシックで5着となった翌週にはウッドバイン競馬場(カナダ・トロント)のロスマンズ国際(9着)に出走し、ジャパンカップにやってきた。そのタフさにタマモクロスとオグリキャップは負けたのだ。