(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第47回は俳優の中井貴一さん。俳優だった父・佐田啓二の法要の時に突然監督からスカウトされたという中井さん。父親と縁のあった人からは、比べられることも多かったそうですが――。(撮影:岡本隆史)

前編よりつづく

「跡取りになるよ」の言葉

(将来自分が俳優になるなんてことは、まったく考えもしなかったと話す中井さん。)
それが成蹊大学在学中の20歳の時に、突然の映画出演。間違いなく第2の転機と思われる。

――そうですね。僕は人見知りで恥ずかしがり屋で、赤面症でしたから、俳優になるなんて考えもしなかったのに、父のゴルフ仲間だった松林宗恵監督から、父の法要の時に突然スカウトされて。

母は、「もう大学生なんだからあなたの人生は自分で決めなさい。私は知らない」と言うし、仕方なく地図を頼りに、監督の所まで断りに行ったんです。

ところがなぜか、「やります」と……。親父が背中を押した、とかじゃなくて、もう蹴り倒された感じで、その痛みで「やる」って言っちゃったんだろうなと思います。

後悔しながら帰宅すると、母がびっくりして、「え? あなた、やるの!?」って。母は断ると思っていたんでしょう。その時、祖母が一緒に住んでて……祖母は父が存命の頃、大船の撮影所の前で食堂をやっていた人なんですが、僕が落ち込んでたら、「よく決めたね。佐田さん喜んでるよ」と言うんです。

「あなたが生まれた時、4000グラムもあって四角い顔して丸々と太ってたから、みんな『可愛い』ではなく、『お元気そうね』としか言わなかったの。ある時、佐田さんがベビーベッドで寝ているあなたを見て、『おばあちゃん、この子は僕の跡取りになるよ』って言ったのよ」と。

それは祖母だけが聞いた言葉なんですけど、「だから喜んでるよ、きっと」って。それを知って、ああ、だったら一回だけでもやってみるかと前を向けた。もしかすると、この祖母の言葉がエポックなのかもしれないですね。