
60歳を過ぎた木綿子は父の介護と引きこもりの娘の世話に日々追われている。不幸ではないが、いろんなものを諦めてきた人生だった。けれど、ひょんなことから知り合った2歳年下の男と出逢う。二人は互いに惹かれていくが……。遠田潤子さんが描く、静謐で過激な大人の恋愛小説。ぜひお楽しみください。
その夜遅く、麻子ちゃんからメールが来た。
麻子ちゃんのメールは、あまりにもロマンチックなので、俺には気恥ずかしいものがある。だが、年齢のせいだろうか、それを微笑ましく思える余裕もあった。
――昨日からずっと「トゥオネラの白鳥」を聴いています。
シベリウスの交響詩の一部分で、トゥオネラとはフィンランドの叙事詩「カレワラ」に出てくる黄泉の国だそうです。白鳥は暗く黒い川にいるのだ、と。
私の勝手な想像ですが、冷たく凍えきった川を泳ぐ白鳥は霧さんのイメージにぴったりだと思います。川霧の立ちこめる川から上がった鳥が霧さんの姿になって微笑むんです。その温かな笑みは暗い冷たい川を泳いでいたとは思えません。
霧さんの温かさは不思議です。燃えるような火の熱ではなく、陽だまりのぽかぽかした熱でもない。川霧を発生させる水の熱。ひそかで音のない熱です。
私は両腕を広げて白鳥を演じるバレリーナのように羽ばたいてみました。もちろん、素人の私に細かい動きができるはずもなく、ただ不格好に羽ばたくカラスにしかなりませんでした。
