ギター漫談師・林家ペーさんは、御年84歳。1964年に初代林家三平に入門し、愛妻・林家パー子さんとともに、コンビ「林家ペー・パー子」として全身ピンクの衣装に身を包み、したたかにたくましく芸能界を生き延びてきました。そこで今回は、ぺーさん初の語り下ろし『ヨレヨレ人生漫談』より一部を抜粋し、波瀾万丈な人生をお届けします。
あの日のこと
ええ~、あの日のことを振り返るのは、正直、かなりキツいですね。できれば忘れたい。記憶の底に沈めたいっていうのが本当のところ。実際、あれから何がどうしてこうなったのか、よく覚えていないことも多いのよ。
そうかぁ。もう半年以上過ぎたんだ。あらためて振り返ると、そうよねぇ。この年までこんなに凄まじい日々を送ったことはなかったわよ。まさに突然変異、紆余曲折、艱難辛苦。アハハハ、これは大昔、立教大学を受験した時に暗記した四文字熟語だから気にしないでネ。今、書けと言われても「艱難」なんて漢字、書けません。
さて、あの日、昨年9月19日は初代林家三平の命日の前日で、法事で一門が集まったんです。パー子は体調がすぐれないと言うので僕だけ出席して、初代三平のおかみさんの海老名香葉子さんと正蔵さん、現在の三平さんほか30人以上で「林家三平の生誕100年! がんばろう」と写真撮影をし始めたところで、電話が鳴った。
赤羽警察署からで、「今、ぺーさんの家が焼けてます」って。こんな時って頭がまっ白になって、「ええええ、えええー、どういうこと? えええー」しか口から出ないのね。それで誰かが呼んでくれたタクシーに飛び乗った。ところが途中から交通渋滞でタクシーが動かないの。そうこうする間に消防車のサイレンの音がどんどん増えていくじゃない。うちに向かう消防車のせいで交通渋滞を起こしているとわかった僕は、タクシーを降りて走った、走った。パー子は無事か、そればかり考えていた。